fools rush in

@sinkin_shipのブログ

乃木ヲタの、乃木ヲタによる、乃木ヲタのためのLes Misérables鑑賞記

タイトルがフランスっぽくなった!よしこれでいこう!


とノリノリで決めたけどリンカーンとナポレオンを勘違いしていた。
語呂がいいのでそのまま突き通そうと思います。

 

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2017年Les Misérables、お疲れ様でした・・・!
地元名古屋で大千秋楽公演を含め数公演の感動の瞬間に立ち会えたこと、本当にうれしく思います。帝劇と名古屋で観劇したのですが、なんとなく名古屋は笑っている人も泣いている人も多かった。歴戦の観劇玄人の方よりも、ふらっといらっしゃった方や初めて観る方が多かったのかもしれません。

人生で初めて観た6月の帝劇公演の後にもブログを書いたので、大千秋楽まで見届けた今の感想も、記録として残しておこうと思います。

何回も観たので感想も細かくなりますが、細かい観点のお話は綿密な考察をされている長年のファンの方々のお話の方がよっぽど参考になると思うので、わたしは思いっきり乃木坂のヲタクとして感じたことを書きます。

そんなしがないドルヲタのレミゼ鑑賞記です。

 

 

【目次のようなもの】

 

 
素人に毛が生えました

 

初観劇の感想はこちら。(帝劇6/2昼公演)

sinkin66.hatenablog.com

 

名古屋公演は地元かつ最終会場いうことで、とにかくお財布の許す限り、計4回観ることが出来た。帝劇公演を入れると全5回になる。大千秋楽も観れた。


何度観ても色褪せないどころか、前までは見えていなかったものが見えてどんどん解像度が上がっていくのがすごい。鳥肌が立つポイント、涙腺が刺激されるポイントが、毎回毎回役者さんによって少しずつ違う。本当に、恐ろしいほど深い沼に嵌ってしまった・・・

でも、でも、観れば観るほど「初めて観たときの興奮」にはもう出会えないんだなあってしみじみ実感してしまい、ちょっとさびしい気持ちにもなった。

アンジョルラスが一人で「民衆の歌」を歌い始めたときの「ここなん!?」という驚きや、赤い旗が翻った瞬間の血が騒いだような興奮、それぞれのソロ曲でぶわーーっと音圧が上がる瞬間のぎゅっと胸が締め付けられる感覚などなど、勿論何度観ても良いものは当たり前に良いのだけれど、それでもやっぱり初観劇は特別だったなと思う。

勿論、そうだったとしても根は一生治らないヲタクなので、今後も何回だって観て、今後も引き続き死ぬほど行間を読んでいきたい。

そんなわけで、内容についてはまたポイントを絞って感想を書こうと思います。
結局前回と触れている人物が一緒になった。好きなんだな・・・

 

 
きみこそスターだ、生田絵梨花さん

勝手に謎のノスタルジーみたいなものを拗らせていたけれど、何回も観て良かった!と思った一番の理由はやっぱりいくちゃんだった。 

歌声は、日によって多少差はあったけれど、帝劇公演よりちょっとずつ強くなっていて、それもわたしは好きだったな。浮世離れしたキラキラ感があって、どこを切り取ってもヒロインだけど、でもどこか可愛い可愛いだけの存在じゃないというか。

パンフレットでいくちゃんが自分の役について「物語を貫く光の筋として、希望や強さをもたらす」という言葉を使っていたんだけど、まさにその通りの圧倒的な強い光。

いくちゃんのもつパワーというのは、とにかく「生田絵梨花がいるところが世界の中心になる」というものだと思う。

乃木坂のライブからの帰り、メンバーが眠っている夜のバスの中でも、自分が歌を披露するとなったら自分を照らすための照明を要求したり、今回の公演パンフレットのキャストコメントにおいても、他のキャストが「30周年という節目の年に出演できてうれしい」という文脈なのに、彼女は「20歳という節目の年に記念すべき30周年で」と始まってたり。(これはだいぶ揚げ足だと思うごめんね・・・)

そんな風に、世界の中心が絶対的に生田絵梨花になる瞬間、というのがこの世の中にはときどき確かに存在していて、それはLes Misérablesで彼女がコゼットとして舞台の上にいる時もそうなのである。

 

そんな生田絵梨花さんのコゼットがやっぱり大好きです。 

 

乃木坂46のヲタクとしていくちゃんのコゼットを観に来て、そこからレミゼを好きになった。そしてレミゼが好きな者として改めて名古屋で生田絵梨花さんのコゼットを観て、ああやっぱりこのコゼットが好きだと思えたのがとてもうれしかった。

2017年にいくちゃんにこうしてレミゼの世界に連れてきてもらえて、勿論2019年もまた彼女のコゼットに逢えることを願っているけれど、例えばそうじゃなかったとしても、2019年も、そしてそれ以降もずっと、またわたしはこの作品を観に劇場に行くと思う。

それだけの出会いをいくちゃんに貰えたこと、本当に感謝しています。 

そして同時にこの長い公演期間を通じて、コゼットの生田絵梨花に負けないくらいアイドルの生ちゃんであろうとしてくれたこと、乃木坂46生田絵梨花としてもたくさんの幸せを届けてくれたことにも、本当に感謝しています。「世界がいくちゃんのものになる時間」というものを増やしてくれたのは間違いなく乃木坂46というアイドルグループの存在だったと思うので。

 

いくちゃんありがとう、そしてお疲れさまでした!

 


アンジョルラスの圧倒的センター感

 推しメンことアンジョルラスの話。

アンジョルラスのかっこよさは、まさにアイドルグループにおける圧倒的なセンターのそれに似ている。

アンジョルラスは舞台にいるときは常にセンター。まさにNO CENTER, NO ENJOLRAS.

革命集団のリーダーとして演説を振るうときも、バリケードで戦うときも、「民衆の歌」も、「ワンデイモア」も。舞台上に現れてから、死んでゆくまで、彼はずっとその場でのセンターなのである。
もちろん単に立ち位置がということだけではなくて、役どころが。作品の主人公であるバルジャンが砦にいるときでさえも、その集団を統べるのはアンジョルラスなので。

このセンターぶりがとにかくかっこいい。「このセンターについていきたい」と思わせる圧倒的なカリスマ性。

アンジョルラスが舞台に出てきた瞬間、「あー待ってました!」ってぶわっと鳥肌が立つ。
たとえるなら「制服のマネキン」で生駒里奈さんが出てきた瞬間とか、「ガールズルール」の白石麻衣さんの煽りで場内のボルテージがぐぐっと上がる瞬間とか、まさにああいう高揚感。

そして出てきた瞬間から、いなくなるそのときまで、舞台は彼のものになる。


このカリスマ性は、もちろん歌詞をはじめ脚本演出に綿密に練りこまれて、そして代々醸し出されてきたものなのだろうけど、そこにさらにそれぞれの役者さんの演技力や演技プランが加わることで、ハードとソフト両面からアンジョルラスの魅力として溢れ出してくるのがすごい。

ハード面は、ラマルク将軍やエポニーヌなどの味方の死に対して、すぐさま動揺を闘争心に昇華するべく煽り始める抜け目なさだったり、志願兵バルジャンの働きぶりにすぐ懐を開く包容力だったり、まあそりゃそういう風に描かれたキャラクターなのだから挙げればキリがないので置いておくとして、ソフト面のほう。

この「ソフト面」に関して言えば、やはり相葉裕樹さんのアンジョルラスが一番好きだった。絶妙な線の細さと、ちょっと潔癖で神経質そうな振る舞いと、いい意味でそこまでミュージカルミュージカルしていない歌い方。これがまた実に「学生集団」のリーダーの雰囲気にぴったりでとてもよかった。

いままで腕力で物事を解決したことなど一度もなさそうな理知的な、本当に一介の学生が、それでも革命が正義として銃を取るに至ってしまったリアルさというか。

まだ一滴も自分の血は流れてないうちから「俺たちの流す血が祖国を潤すんだ」とまで言い切れる青さというか。

あとはABCカフェで、マリウスがコゼットに骨抜きになって恋の素晴らしさを歌い散らかしてる(言い方)ときの、壁にもたれて腕を組んでいるときのなんとも言えない怪訝そうな表情とか、なんかこう、とにかくすべてがドンピシャに理想そのもので、好きだったなあ……

公式で上がっている制作発表の歌唱動画だと、シュッとしたイケメンお兄さんって感じだったのですが、実際の相葉アンジョルラスはあれの100億万倍くらいすごかったです。

 

2019年、是非とも続投してほしい………

 


エポニーヌちゃんはシンメの宝庫

 エポちゃんも推しメン。
前回はエポニーヌといえば「オン・マイ・オウン」!!!って言ってたけど、違った。

 

エポニーヌは全セリフ全シーンが見せ場だったよ………

 

とくに彼女が片想いをしているマリウスとの会話。一言一言がぐっさぐっさ胸に刺さってくる。

マリウスの胸には刺さってないのに!!(つらい)

前回はああエポニーヌ切ないな…くらいのテンションだったけど、ソロ歌唱以外の普通のやり取りとかもちゃんと注目してみると、マリウスがエポニーヌのフラグを立ったそばから完膚無きまでに叩っ斬っているのが分かってしまって、もはや切ないとかいうレベルではなく胸が抉れそうになった。

 

マリウス「エポニーヌ元気か、どこに隠れてた?」
エポニーヌ「探してくれたの?」
マリウス「警察も探してた」

これとかね、デートに誘ったら「みんなで行こう」って言われたみたいな感じですね。

 

エポニーヌ「大した本だね、あたしも読めるわ。見くびらないでよ、何でも知ってるわ」

マリウス「この本は君の知らないことばかり」

 ここもしんどかった。

マリウスにとってエポニーヌが恋愛対象にならないのって、勝負以前に、身分的にまず土俵に立ててないんだなあというのが伝わってきてしまいまた悲しい・・・

 

とか、とか、もうこんなんばっか。(まだたくさんある)
バッティングセンターか?ってくらい会話が噛み合わないマリウスエポニーヌ・・・。 

こういう会話をちゃんと味わった後に聴くと、「オン・マイ・オウン」や「恵みの雨」の切なさが段違いだった。本当に、2017年の「切ない」の9割はここにあると思う・・・

中日劇場では、割と「オン・マイ・オウン」~「恵みの雨」あたりまで結構周囲で鼻をすする音が聞こえてきていて、全力で「分かる・・・」と思った。

 

そんなエポニーヌ、「オン・マイ・オウン」をはじめ、単品でもとても見所満載の素敵なキャラクターだけど、よくよく観てみたら彼女は本当にシンメの宝庫だった。

 ので、個人的に熱かったエポニーヌまわりのシンメを紹介します。

 

①コゼットとエポニーヌ

→物語全体を貫く光と影。バルジャンジャベールに次ぐ超王道シンメ。マリウスを挟んで歌う「プリュメ街」「心は愛に溢れて」の2曲と、その後強盗(実父!)の襲撃からからがら逃れた二人が門扉を挟んで対峙する瞬間が一番の見どころ。

②マリウスとエポニーヌ

→恋は一方通行なのでシンメ??と思いがちだけれど、「ワンデイモア」でセンターのアンジョルラスのサイドに並んだ時のバランスはピカイチ。「ワンデイモア」のフロントがおいしいのは勿論のこと、「プリュメ街」の終盤、「熱く心に触れた人」という二人のパートは、ユニゾンなのにお互い違う人のことを指して歌っているところがなかなかニクい演出。

③ファンテーヌとエポニーヌ

→悲劇のヒロイン的なシンメ。二人で登場するのは、エンディングで幽霊としてバルジャンを迎えにくるときというまさかの死後パターン。生身では接点ゼロだが、一幕と二幕でそれぞれに哀しい華を添える役目があり、だいたい各幕が開いて同じくらいのタイミングでソロ歌唱があり、同じくらいのタイミングで死を迎える。シンメ度は何気に結構高いと思う。

④ガブローシュとエポニーヌ

ちっちゃいものクラブ的なシンメ。テナルディエがバルジャンにちょっかいを出すシーンで、建物の屋上みたいなところで二人でもそもそおしゃべりしていたのが可愛かった。

 

乃木坂でいうと、①西野白石、②橋本白石、③橋本生田、④星野飛鳥だと思うのだけどわかってもらえるでしょうか。
みなさんお好きなシンメで想像してみてください…

 

まあそれはともかくとして、エポニーヌはありがたいことにトリプルキャスト全て観ることが出来たのだけど、また三者三様で全然趣が違ってハイパー楽しかったです。

昆エポは中日劇場どころか名古屋市全体を揺るがすレベルの圧倒的な歌唱力で、発するフレーズ全てがクライマックス過ぎて鳥肌が止まらなかったし、凜エポは全体的にバランスが良くて掛け合いの曲もソロも同じように聴きやすくて安定感があったし、ふうかエポはかわいすぎて時が止まるかと思った。みなさん本当に素敵でした有難うございました・・・。



終幕、そして「舞台」の良さとは何か

乃木坂46が、今年一年かけて同一作品を同時に映画化&舞台化する「あさひなぐプロジェクト」という企画を行っている。ちょうど6月のレミゼ初観劇のタイミングで舞台「あさひなぐ」があり、このレミゼ名古屋公演にかかる形で現在映画「あさひなぐ」が公開中である。同じ作品でも、舞台と映画で切り取り方や見せ方も全然違うので、ギャップを楽しむのが面白い。

もちろんレミゼも舞台と映画の両方を観ていることもあって、この一年はなんとなくだけれど「舞台」と「映画」というコンテンツについて考える機会が多かった。

結局まあなんだかんだ舞台にないものは映画が持っていて、映画にないものは舞台が持っているんじゃないかな、というありふれた結論になりそうではあるけれど、2017年はこの2作品を通じて、もう少しこの二つのコンテンツについて考えてみたいと思っている。

 

ただ、舞台の、舞台にしかない良さ、というのは確かにひとつ見つけてしまった。

それは「この町にいてくれる」ということである。

実際に、わたしが観に行けた公演はそのうちのほんの一部だけれど、「あさひなぐ」は3日間、レミゼはなんと3週間も名古屋で公演を行ってくれた。
公演期間中は、観に行っていなくてもなんとなくお祭りみたいでずっと楽しかった。

わたしが毎日仕事をしていたり、まあ普通に生活しているこの町に、カンパニーの皆さんがやってきて、同じように毎日公演をしている。たまたま公演時間中に劇場のそばを通りかかったときなど、中の空気を感じるだけで元気をもらえたりした。舞台上から得られる生の感動だけでなく、ただ公演に来てくれているだけ、この町にいてくれるだけでも、こんなに力をもらえるとは思わなかった。

 もちろん、これはわたしがたまたま、三大都市に住んでいたからこそ得られる恩恵なのですが。

 

そんなことを考えながら迎えたLes Misérablesの大千秋楽、特別カーテンコールは、来年に閉鎖されることが決定した中日劇場へのお別れ企画とのことだった。
鈍いものでそれを目の当たりにしながらようやく気付いたのだけど、今回名古屋が大千秋楽の地となったのも、中日劇場が迎える最後のLes Misérablesだったからなのだろうか。

そう考えると、つくづくこの大千秋楽、そしてこのカーテンコールの瞬間に居合わせることができたのは幸運だったなあと思うばかりだった。
 

 中日劇場は無くなってしまうけれど、ミュージカル「Les Misérables」が2019年公演も名古屋に来てくれることを願って、このブログを締めたいと思います。

 

2017年公演、お疲れさまでした!

2年後にまた会いましょう!